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新首都構想の裏表(1)3年足らずでの法案成立


 

 2019年8月、ジョコ・ウィドド大統領が大統領就任二期目の目玉政策として突然、発表したインドネシアの首都の移転構想。交通渋滞をはじめ過密で大都市の弊害が明らかなジャカルタから広大な同国でも過疎地帯として知られる広大なカリマンタン島中部へ首都を移すという。突飛な話だったので、日本政府や企業も「まゆつばもの」と受け止めていたが、本年1月に国会で十政党中政党が賛成、名称も「ヌサンタラ」と発表され日本でもにわかに関心が高まってきたのが現状だ。 

 

 とはいうものの、日本ではこの構想に関する情報は断片的である。まずは構想浮上の経緯や構想を取り巻く国内の動きから見ていこう。第一に構想そのものはジョコゥイ大統領の発案ではなく、建国の父である初代スカルノ大統領(45-65年)の発案だ。当時は中部カリマンタン州の州都パランカラヤが候補の一つだった。二代目のスハルト大統領も首都移転の考え自体は受け継いでおり、1997年にボゴール(ジャカルタ郊外)への移転を計画する大統領決定を出している。ただ、翌年同大統領は失脚、構想実現への動きはストップした。

 

 そこからさらに20年。ジョコウィ大統領は二回目の当選のタイミングで突如「ジャカルタの首都機能として逼迫状態にある 」「政治機能を持つ中心地と、経済・ビジネス・貿易の拠点とを分離させる」と言い出して首都移転構想を打ち出した格好である。確かに首都ジャカルタの都市機能が過密からマヒ状態にあることは一般市民も肌で知っている。

 

 だが、どこの国でもそうだが首都移転は国家の大事業である。候補地の選定から費用対効果、国家戦略上の位置づけなど様々な角度から国を挙げての大議論が必要なことはいうまでもない。ところが、そんなプロセスがなされた気配はメディア報道でもほとんど無かったのが実情だろう。民主的とされる大統領にしては、どこか違和感がある。

 

 この背後には、自身が所属する闘争民主党(PDIP)の党首でありスカルノ大統領の娘でもあるメガワティ・スカルノプトゥリ氏への政治的気遣いとも見方もある。大統領とメガワティ氏の不仲は有名である。大統領二期目の任期が切れる2023年を前に、その後の政治情勢に向ける自らの思惑も踏まえてメガワティ氏を持ち上げ、関係改善を目指す一石との見方も出来る。

 

 

新首都移転先の地図 / Shutterstock より

 

 さて、構想を発表したジョコウィ氏はその3か月後の8月には、新首都の所在地を東カリマンタンの「ペナジャム・パセール・ウタラ県」と発表。もちろんこの時点で、法的根拠や国民投票はまったくなく、パフォーマンスだけで、構想の実現性はかなり怪しいと見られていた。2020年は新型コロナ問題で目立った動きもなく、政府代表として国家開発計画省(バペナス)は移転構想計画の延期を発表していた。

 

 ところが、21年9月、「州都移転に関する法案(RUU IKN、IKN法案)に関する大統領書簡」がプラティクノ国務相とスハルソ国家開発計画(バペナス)相から国会に提出され、12月にはIKN法案特別委員会が正式に設立した。

 

 1月、国会議員やバぺナスの代表団らが予定地の東カリマンタンやモデルシティとされるBSD地区(ジャカルタ郊外の都市)を相次いで視察。17日の3時未明まで続いた審議の結果、新首都名をヌサンタラと決めた。翌18日には、IKN法案が国会本会議で可決された。反対は10政党のうちわずか1政党(PKS)のみであった。この際の国会議長はプアン・マハラニ国会議長、つまりメガワティ氏の娘である。

 

 日本ではあまり大きく報道されないものの、新首都推進の動きへの反対派、懐疑派も少なくない。国家の重要な政策が3年足らずで決定されたのだから、当然といえば当然かもしれない。学界からはIKN法の批准を巡り司法審査請求が憲法裁判所に提出された。国民の議論が不在のまま、議会が急ピッチで法案を可決した印象は否めない。他方で、大統領の3選を可能とする法の改正について側近らが言及し、学生らを中心にジョコウィ大統領の政治姿勢に対する抗議活動が繰り広げられている。新首都構想の建設推進をめぐる政界の動きは、大統領の政治姿勢に対する批判の一つと受け止められている。

 

(斉藤麻侑子)

 

ジョコウィ大統領(中央左)とメガワティ氏(中央) / Shutterstock より